photoreading:『渚にて』ネビル・シュート
2013年12月2日
第三次世界大戦後、4700発の核爆発で放射能汚染され、最後に残ったメルボルンも数ヶ月で放射能で汚染されるとき、人はどう生きるか。
映画化されて主題歌もヒットした名作。
kindle化されていたので初めて読んでみました。
<考えたこと>
- 確実に訪れる死をどのように受けとめるか
- 放射能で描いているが、がんについても、他の病気でも、寿命でも同様
- 現実逃避でアルコールに溺れる者
- コレクションのワインをなんとか飲み尽くそうとする者
- 永遠に来ない来年以降のための準備をする者
- 最後に人を愛する気持ちがあるというのは幸せ
- 取り返しのつかない事態になるのは、他の人のせいか?
- 起こっていること、大切なことに、一人一人が関心を持っていなかったから?
- 知ろうという人が少なければマスコミも報道しない
- 知ろうという人が少なければ政治も変わらない
- 知るためには知る姿勢と意思が必要
<印象に残ったフレーズ>
「だれもこの戦争を止められなかったの?」
「どうかな……人間の愚かな行為は、だれにも止められないときがあるものだろうな。つまり、一億二億といったたいへんな大勢の人々がこぞって祖国の名誉のためにコバルト爆弾を敵国に撃ちこむことを決断したとしたら、もうだれにもどうすることもできないってことだ。唯一可能性のある希望があるとしたら、そういう愚かさから人々を抜けださせるような教育をすることだけだろうね」
「でもどうやったらそんなことができるというの? 教育といったって、みんな学校を出たいい大人なのよ」
「新聞だ」とホームズは答えた。
「新聞によって人々に真実を知らせることは可能だったはずだ。だが、どの国もそれをやらなかった。わがオーストラリアでさえだ。それこそわれわれのだれもが愚かすぎたからだ。われわれ国民は水着美女の写真や暴力事件の見出しなんかにばかり目を惹かれてしまっているし、政府は政府で、そんな国民を正しく導けるほど賢くなかった」
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