玉川一郎のブログ

ガンダムに学ぶビジネス 第25話『オデッサの激戦』

2014年7月9日

おはようございます。このところ自宅で仕事をすることが多いのですが、風が入らない時は暑くてたまりません。ふと思い出して以前買った送風機に電源を入れて使ってみたところ、これが涼しい。なんか冷房よりも健康的な感じがして嬉しかったです。

さて、今朝のファースト・ガンダム視聴は第25話『オデッサの激戦』。第2クールの締めくくりにあたり、連邦軍がジオン軍に対して反攻作戦を開始。ガンダムの活躍で勝利を得るという話です。

『オデッサの激戦』を見て描いたマインドマップ

『オデッサの激戦』を見て描いたマインドマップ

シュミレーションゲームをやっているかのような戦略と戦術の交差する面白さがあり、描写でもナレーションが戦史を語っているような口調になっています。しかしこの話をよく見ると、本来は連邦軍が負けて当たり前の戦いだったように思います。

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ジオン軍マ・クベ司令の内部スパイによる寝返りの謀略、戦略兵器としての核の使用など、どれも戦略としては有効性が高いです(上等とはいえませんが)。これに対して連邦のレビル将軍は、スパイを自ら発見することができず、また核の使用をブラフと考えてそのまま力押しをするなど、きわめて楽観的で場当たり的な対応です。

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たまたまGアーマーで慣熟飛行に出ていたアムロとセイラがスパイを見つけなかったら、そして核ミサイルをアムロが奇跡的にガンダムで撃墜できなかったら、間違いなく連邦は敗退していたように見えます。

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ここは、リアルな戦争を描こうとしていながら、ロボットアニメをやらなければならないジレンマが、極限に達した瞬間だったのではないでしょうか。主役メカの側が負けるわけにはいきません。しかし戦争を描くなら主役メカだけの活躍で勝つことはできません。一部隊の局地戦は大局を変えないというのが、ガンダムでここまで描いてきた大きなテーマでもあったのです。

私は今回の話のストーリーには説得力を感じませんでした。戦争における個々の兵士の活躍の無意味さを語ってきたここまでの展開に対して、アムロそしてガンダムだけの活躍で戦局を変えるという話に論理的な一貫性を得ることができなかったからです。

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そして説得力には論理だけでなく感情の側面があります。ガンダムでは演出の冴え、作画の繊細な表現によって、感情的な高ぶりを呼び、説得力を補ってきました。たまたま今回の話は作画も乱れ、シナリオも雑になっていたため、感情が揺さぶられず、論理の破綻を表出させてしまったのでしょう。

 

この後の展開ではニュータイプという概念が出てきます。これは宇宙に出ることによって認識力が拡大した人のことで、いわゆる直感力、反応力、理解力に優れた超能力者のような存在。アムロが強かったのはニュータイプだったから、という話になっていきます。

つまり、一部隊の局地戦では戦争は変わらない。しかし戦争を通じてニュータイプに目覚めた者は、人類の革新のさきがけとなって時代を変える。そういうムード、「感情」を持ち込むことによって、ようやく主役メカの活躍で人類を二分するような大きな戦争に勝利するという物語が成立できたのです。

 

もしも、ランバ・ラルとの戦いの中で兵士として成長していったアムロの、今後の「普通の人間」としての成長を描いていったら、アニメファンに語り継がれる傑作になったことでしょう。しかしニュータイプがあったからこそ、コアなファンのみならず社会現象的な連鎖を生み出し、一作品に終わらないムーブメントを作り出しました。

そこには論理と感情の微妙なバランスがあったこと、そしてそのバランスを作る上で良くも悪くもきっかけとなったのが今回の話だったと思います。