玉川一郎のブログ

イデオンに学ぶ「人生」 第33話『ワフト空域の賭け』

2014年10月31日

おはようございます。

 

昨日は神田昌典さんのフォトリーディング集中講座に特別参加してきました。

 

神田さんがフォトリーディングの講座を開催するのは4年ぶりぐらい?で、講座というよりもフォトリーディングのイベントとして、私たちインストラクターも応援に駆けつけました。

 

私以外に、山口佐貴子さん、塚原美樹さん、松岡克正さん、ひろかずまさん、柴山健太郎さん、木村祥子さん、そして石ケ森久恵さんが講座の最後に壇上に上がり、それぞれフォトリーディングへの想いを語りました。

 

懇親会では私の受講生も何人もいて、また初めての方がたくさんご挨拶してくれて、フォトリーディングの可能性とヒントについてたくさんお話しさせていただくことができました。

 

終了後、神田さんを囲んで近くのレストランでインストラクターの近況報告会。

1年ぶりくらいに会う人も多く、インストラクターになってから5年くらいのお互いの仕事の変化に驚かされました。

 

やはりこうやって顔を合わせて酒を酌み交わすのって大切ですね。

またフォトリーディング、マインドマップの旧友たちと忘年会や新年会をやりたくなりました。

 

 

さて、今朝観た伝説巨神イデオンは第33話『ワフト空域の賭け』。

かつての好敵手だったギジェがいよいよイデオンのパイロットとしてデビューする話です。

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ここでのテーマは「人を信じる」ことについてです。

言葉でいかに良いことを言っても、人の心の内面はわかりません。

その場をしのぐためのものかもしれないし、最初からあざむくつもりかもしれない。

 

すべてを信じないことも一つ。

かつて金八先生の主題歌で武田鉄矢が歌ったように「人を信じて泣くほうがいい」と思うのも一つ。

 

ギジェはもともと最大の敵で、仲間を何人も死に至らしめてきました。

実際にイデオンに乗り込んで奪おうとしたことも2回。

その彼にイデオンのパイロットをまかせようというのが今回のシチュエーションです。

 

「信じられるものですか」というカーシャ。

「俺は嫌だな」というデク。

状況から言って信じられないのが当たり前です。

 

しかしギジェと戦ってきたコスモは、皮膚感覚で信じられると感じています。

シェリルは(おそらく肌を合わせていることもあって)ギジェを信じたい。

倒れたベスに代わり責任者を務めるハタリは戦力ダウンを補いたい。

 

そして決め手となったのが、イデの意思です。

伝説ではイデは良き心によって発動し、悪しき心によって滅びをもたらす。

未知のエネルギーであるイデに頼らざるを得ないソロシップのクルー達は、イデの意思を推察し、自らの行いが良きものなのか、悪しきものなのかを自問自答させらる。

 

人を信じないことが良きことか?悪しきことか?

その決断を迫られているわけです。

 

戦闘の最中、ギジェはバッフクランと通信し、イデオンを持って帰ると言って敵に近づきます。

コスモはチャンスと考え、ギジェと挟み撃ちでこの敵を撃破します。

 

戦闘後、ギジェの行動について人民裁判が行われます。

カーシャ「この人はイデオンを持って逃げるつもりだったのよ」

ギジェ「どの道、疑われる身だ。弁解はしない」

 

おそらくギジェ自身、自分の心がわからなかったのでしょう。

一瞬はバッフクランに帰ろうと思った。

ところがギジェを信じたコスモの声でバッフクランを撃破した。

 

こころはころころ。

過去の自分の心と今の自分の心は違う。

本人がわからないものが、他人にわかるわけもない。

 

では心を裁くことができるのでしょうか。

その時、誰かをあざむこうと考えたからと言って、罰を与えられるか。

 

それは戦時中によくある「思想犯」の考え方です。

あるいは猟奇的な犯罪が起こった時によく出てくる「予防できなかったのか」という論議です。

人の考え方を理由に予防措置をすることの是非が問われています。

 

コスモ「俺は結果で判断するしかないと思っている」

実際に犯罪が行われなければ、罰することはできない。

それが考え方の一つでしょう。

 

しかしハタリは言います。

「疑わしきは罰せず、ともあるが、俺たちは凡人だ。どちらかにはっきりはさせたい」

 

罰には結果に対してのものだけでなく、感情のわだかまりを処理し、物事を先へ進める意味もあります。

東京裁判では「事後法」によって戦争行為を裁いています。

後に決まった法で裁くというのは、誰を処罰するかを先に決めている以外の何物でもありません。

そして戦犯として軍人や政治家が1000人以上処刑されました。

 

かつて私は劇団四季で『南十字星』を観ました。

そこでは明らかに誤認によって善良な兵士が戦犯として処刑されます。

 

理不尽さをなげく処刑前の彼に、同じく処刑される上官が言います。

「戦勝国の感情を収めるために、意義があることだ」と。

そのような感情と行動(報復)こそ、人間のエゴとして伝説巨神イデオンが追求しようとしているのでしょう。

 

今回の話では、コイントスでギジェの処罰を決めることになりました。

結果は「表=シロ」。

カーシャ「こんなことで、こんなことで、こんな大事なことを決めてしまうの!コスモ!コスモったら!」

コスモ「じゃあさあ、カーシャはギジェが裏切り者だって(確信を持って)いえるか?」

 

わだかまり、こだわりの感情にはケリをつけないと先へ進めない。

でもケリをつける方法は「処罰」だけでない。

それをコイントスでやろうとした富野監督はやはり非凡です。

 

<今日の学び>

他人を非難して得られるのは感情の整理。

でもそのための方法は他人を非難する以外にもある。