ガンダムに学ぶビジネス 第19話「ランバ・ラル特攻!」
2014年7月2日
おはようございます。今日はこれから友人の社長さんたちと泊まり込みで戦略会議に出かけます。ここ数年毎年行っているプライベートな行事で、下田の名湯の宿に浸かりながら今年下半期の構想を語り合ってきます。
出発はお昼前なので、今朝も5時半に起きてファースト・ガンダム視聴を継続しました。今日は第19話「ランバ・ラル特攻!」です。
富野監督はインタビューの中で、アニメとコミックの可能性についてこう語っています。今までの実写の戦争映画では撮影の限界があるので戦闘シーンの描写は限られてきた。それに比べてアニメやコミックでは、人間ドラマに合わせて自由な構図で戦闘シーンを描くことができる。これに気づいた映像人は他にほとんどいないのではないか。
まさにそれを実証したのがこの回でした。ガンダムとグフの戦闘は、兵器を使った戦いでありながら、剣豪同士のような立ち回りになっている。最小の動きで攻撃をかわす姿はまさに見切り。そこにコンピューターのサポートが入りつつ、達人の技が交差する。
戦艦ホワイトベースの操舵手ミライの戦い方も凄い。ザクに背後を取られると、ロケットエンジンの噴射で撃破。グフが上に乗っかると、背面飛行で振り落とす。ここまで戦艦で説得力を持ってロボットを倒したシーンはなかったのではないでしょうか。
さらに人間描写が精緻。ランバ・ラル隊に店で遭遇したアムロとランバ・ラル、ハモンのシーンで、前回同様、まばたきを使った感情表現。そこに眼球の微妙な移動まで加わって、名優でしか成し得ない深い心理描写となっています。いや、どんな映画だって名優ばかり揃うことはありえません。アニメであればこそ、登場人物全員が名優でありうるのです。
もちろんこのような表現は富野監督だけでなく、宮﨑駿やその他の当時のさまざまなクリエイターたちによって確立されたものです。このような、35年前にアニメが到達したこの表現は、まさにイノベーションの極地です。
現在、ジャパニメーションとか、サブカルチャー、クールジャパンの象徴になっているアニメも、そのイノベーションの延長上にあります。しかし最近のアニメに、表現や演出は派手になっていながら、なんとなく底の浅さを感じるのは私だけでしょうか。
それはアニメをつくろうとしていながら、アニメとは何かを問いかけていないから。アニメはあくまで手段であって、伝える中身ではない。伝える中身までがアニメになってはいけないのです。
さまざまなインテリジェント・スキルもまた同じ。マインドマップやフォトリーディング、フューチャーマッピングも手段にすぎない。手段を突き詰めてもそこに中身は出てきません。
富野監督は当時30代。どうしてその若さでここまでの表現を手に入れたのか。それは演劇、映画、小説、などのドラマをたくさん見てきたからだと語っています。
日々の生活、仕事を生き、それこそギリギリまで歯を食いしばって生き、悩み、どうしても超えられない壁にしっかりと直面してこそ、さまざまなスキルが役に立つのだと思います。私も自分自身の人生をしっかりと生き、それと結びついたものとして、講座を実施していかなければならないと、思いを新たにしました。
category: ガンダム