ガンダムに学ぶビジネス 第41話『光る宇宙』
2014年7月26日
おはようございます。熱帯夜の続く日々です。ここのところ暑くて毎晩3時ぐらいに目が覚めます。冷房はなるべくつけたくないのですが、昨日あまりの暑さにつけたら、寝ぼけていたのか暖房になっていて嫁さんに叱られました。明日は玉川受講生勉強会・たまいちブートキャンプ。受講生のお役に立つよう、今日はしっかり準備します。
ネイティブ・ガンダム連続視聴もあと3話。今朝は第41話『光る宇宙』。今回の私はいつもよりもかなり力入っていますよ。
- ジオン公国では、徹底的に戦って人類のすべてを支配しようとするギレン・ザビ総帥と、戦争に嫌気がさしたデギン・ザビ公王との対立が先鋭化。
- デギンは単身で連邦軍艦隊の中心、レビル将軍のところに和平交渉に向かう。
- キシリア・ザビ少将は、シャアがザビ家への復讐を目論んでいたこと、その目的がニュータイプの世を作ることに変わってきたことを見抜き、協力を迫る。
- キシリア艦隊はホワイトベース隊へ艦隊特攻をかける。激しい戦いとなり、両軍に甚大な被害が出る。
- 戦場でアムロはララァと精神交流が発生。相互理解が始まった瞬間にシャアとセイラが乱入。
- シャアはセイラを殺しかけて動揺、そこをついてシャアが討たれるところにララァが身を挺して守る。
- ララァの精神は時空を超え、アムロと真の相互理解が成立。人類の進化の未来を垣間見せながら、ララァは命を落とし、アムロは悔恨の涙にくれる。
- 太陽エネルギーをスペースコロニーに集め、直径6キロの巨大なビーム砲にした究極の殺戮兵器ソーラ・レイが、人類史上初めて発射された。
とにかく情報量が多い。おそらく第1話『ガンダム、大地に立つ』に匹敵する内容です。そして完全に視聴者置き去り。初見で大枠でも理解した人は少ないのではないでしょうか。
しかし終わった時に「すごいものを見てしまった」という感慨が沸き起こります。わけがわからないけど、息がつまり、感動している。そしてそれこそが、富野監督が語っていたこと。言葉で伝わらないもの、普通だったら目を向けようとしないものを「子どもに刷り込む」力。アニメの可能性を引き出そうという試みの一つの到達点でしょう。
ここで刷り込もうとしたのは、おそらく男と女、その性愛です。
それまでアムロは、マチルダへの憧れはあったものの、本当に男として愛することをまるで知りませんでした。そこに現れたのがニュータイプ専用機エルメスに載ったララァ。この二人の邂逅は、男と女のセックスそのものをメタファーしているのです。
力押しだけのそれまでの戦いでは倒せないと感じたアムロは、目で見るのではなく身体感覚に身を委ね、相手と息を合わせることに集中。遠隔砲台のビットを次々に撃破し、相手との距離を縮めていく。
ついに密着した接近戦の中で精神の対話が始まる。相手の名前を知り、それぞれの立場を語り、言い争い、理解が始まり、互いを受け入れる。そのシーンでアムロの脳内イメージで現れる白い液体の広がりは、少年の精通にしか見えませんし、その後の波は寄せては帰る快楽の奔流のようです。
エルメスを貫くガンダムのビームサーベルは、アムロの女性への挿入であり、ララァの受精。二人は生涯に二度とない絶頂に達し、一瞬時空を超えて未来を観る。卵子に到達する大量の精子のイメージの後、熱いビームサーベルはエルメスから引き抜かれ、ガンダムは離れていく。
そして極めつけはラストシーン。和平交渉に入ろうとするデギンとレビルに、両者を引き裂くソーラ・レイが打ち込まれます。これは愛の届かない相手を力で屈服させようとするレイプの比喩表現になっていますし、暴力で状況を変えようとする戦争そのものです。
こんな意図は普通に見たらまったくわからないでしょう。でもしっかりと心のなかに刻み込まれてしまったからこそ、ここから35年のガンダム時代が生まれたのです。
ガンダムは放映された当時は低視聴率に苦しみ、第7話『コアファイター脱出せよ』では実質0%。怪獣のようなメカを出したり、合体シーンを連発したりしてテコ入れを図ったものの、青森放送は26話で放送打ち切り。当初52話の予定が43話に短縮されていまいました。
アニメを作るのではなく、アニメでしかできないことをやろう。その作者の思いは環境と状況に拒絶されました。でもその状況から逃げることなく、それに向き合い、真剣に対応していくなかで、新しい状況が生まれた。
アニメ雑誌が注目し、対象年齢外の中高生が夢中になり、ファン活動が盛り上がる。ファンのサポートでおもちゃ「ガンダムDX合体セット」は1979年のベストセラー商品になり、スポンサーのクローバーはこの年、過去最高益を出すに至る。
最後の最後になって、富野さんは本当に語りたかったものをそのまま表現する状況を得た。それが爆発したのがこの話です。他人の理解を恐れない、恐れる必要がなくなり、「ありのまま」の自分を表現できる世界に辿り着いたのです。
『アナと雪の女王』で、エルサは誰も居ない中で「ありのままの」自分を表現しました。それは現実逃避と自己満足であり、ひきこもりです。アナがエルサを現実に引き戻すのがこの話。愛にあふれた「ありのままの」エルサ、本当の自分を表現できる世界を創造するところで映画は終わります。
富野監督は現実逃避をせず、自己満足と戦いながら現実と向き合い、ついにやりたかったことを成し遂げました。ありのままの自分が表現できる状況を作り出した。なにしろ自分のセックスをすら表現できているのですから、とんでもないことです。
私自身、そんな状況が作れているだろうか。自分が表現できないことを、状況のせいにしてひきこもっていないだろうか。厳しく問いかけられていて、とてもつらい一話でした。
<今日の学び>
本当の自分を表現したかったら、まず現実と向きあおう。
現実は夢を諦めさせるものではない。
夢を叶えるための現実は自分で創る。
『機動戦士ガンダム』(c)創通エージェンシー・サンライズ