イデオンに学ぶコミュニケーション 第9話『燃える亜空間』
2014年8月8日
おはようございます。昨日は帝劇でミス・サイゴンを観てきました。今回で3回目なんですが、いままではなんか話についていけなくて、あんまりいい印象のないこの劇。初めて泣いてしまいました。それも3回。
クリスがキムと別れるシーンで、私が自分の嫁さんと別れなければならないシチュエーションを想像してしまってボロボロ涙が出てしまって。はい、朝から惚気話ですみませんでした(汗)。
今朝の早朝アニメ視聴は伝説巨神イデオン第9話『燃える亜空間』。ギスギスした人間関係爆発の回です。
- ソロシップでは、ギジェに情けをかけたことでカーシャとシェリルがコスモとベスをなじる。新パイロットのモエラの不慣れを罵り、八つ当たりは果てしなく人々の間を巡り続ける。
- バッフクランでは、ギジェの決闘を邪魔しながら慰めるダミド。ハルル様が到着する前に、仕事の成果を出さないと馬鹿者呼ばわりされると勇むアバデデ。
- カララはベスにバッフクランの戦闘情報を提供する。彼女は激烈な攻撃に肉親から自分が見捨てられたことを悟る。
- シェリルは信じられないとそのアドバイスを退けてソロシップは危機に陥る。窮地を脱した後もシェリルは「みんなあの女のせい」とカララを罵り、コスモは「シェリルさんだって大人なんでしょ?」と批判する。
これはまるで連続テレビ小説『ごちそうさん』で和枝がめい子にいけずをし続けたのを見るのと同じ感覚。ここまでやられると、もっとドロドロにしてほしい、とすら思ってしまいました。
今回は作画が低調でしたが、むしろこの話であまりリアルな表情を描かれると、やりすぎになってきつかったから調度良かったのかもしれません。
問題なのは指揮官であるベスの決断の仕方です。カララに好意を感じ、その戦闘アドバイスを有益なものと思った。シェリルはカララが嘘を付いているにちがいないと決めつけ、ヒステリーを起こす。カララへの好意の後ろめたさと、シェリルとの人間関係の維持を考えて、あえてカララの情報を無視して行動を決断。ソロシップは危機に陥りました。
決断の中には、感情がある。カララを否定する論理もありうるが、その論理を選んだのは感情だった。それが生死を分けるような決断であっても、感情を優先させてしまうという人間の性(さが)です。
それは登場人物が愚かだからでしょうか。私たちはそんなに正しく決断しているのでしょうか。私たちは正しい決断をしようとしていますが、それと同時に自らのアイデンティティを守ろうともしています。
このように決断したら他の人はどう思うだろう。自分はどのように思われるんだろう。
たとえば震災の年のお花見。お花見するなんて不謹慎だ、という主張があって、自分ではそれとお花見とは関係ないと思っても、不謹慎な人間だと思われたくないからお花見しない。
これがエスカレートしたのが戦前の日本。ぜいたくなんて不謹慎だと思われる。戦争を避けようと言うと臆病だと思われる。そのような意識が日本を戦争に追い込み、壊滅的な敗戦に導いてしまった。
バッフクランとソロシップの戦いは、このように「他人に自分がどう思われるか」という視点から次々に拡大していき、最後は両方の人々がすべて死に絶えるまでに至ります。
じゃあどうすればいいのか?「ニュータイプになることだ」という結論なのがガンダム。しかしそこに至るためには私たちが自分の中の目を背けたくなる感情と直面すべきだというのが、イデオンで描かれている人々のいがみ合いなのかもしれません。
<今日の学び>
その決断は客観的な情報から来たものか、アイデンティティから来たものか。
自分の決断も、他人の行動も、論理だけで解釈すると対応を間違える。
『伝説巨神イデオン』(c)東急エージェンシー・サンライズ